sanagi-map 地形文書

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釈迦のルーツに関するお経の訂正

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釈迦について。

釈迦の「迦」と言う字は、”字通では、〔説文〕二下に「迦互して行くを得ざらしめるなり」とあり、さえぎり止める意” と示す。

他の辞書では「邂」と通じ、「であう」の意と紹介するものが多いが、釈迦の仕事は「煩悩に振り回されない処方箋を説くこと」であり、「清らかな心を遮るものを止める方法」を説いた者と理解します。


釈迦の前世について

彼の前世については2500年も前の時代であり、尚且つ、彼の死後500年も過ぎた頃に、仏教がインド社会の慣習に潰されそうになった時に、危機感を受けて結集したと考えられる。

それはインドやイランの人々のルーツが深く関わっている。

寒冷化が溶けて欧州大陸262が誕生する前の前に、つまり寒冷化の時は360ダルマの時であり、その前を意味するのだが、その場所に存在していた荒牛タケル396の大陸が、沈降・寒冷化という「大地の役割からの追放」が起こった。その時、地球を支配していた396と339の主従の民族が大移動をした・・・と地形文書が語る。

396の父親は448牛頭であり、今は・・中国大陸の共産党政権として、人民の支配に勤しむ形に現れている。396は荒牛、339はこま犬、こま犬はメソポタミヤの怪獣として記録されている、また396荒牛は、人類の祖である女神の王権を支配した記憶が、今のインド社会の階級絶対社会と男尊女卑に強く現れていると見える。


釈迦の前世に関して、いろんな学者らしき人々が「あれもこれも、みな・・釈迦の前世である」などと好き勝手に創作しているが、特に「弥勒の前世の梵志賢行」については、2000年前のインド社会の圧力によって、女神の子孫の「生き佛」である樓佛の説法を、ほとんど・・釈迦の説法と読めるように編集した形跡が見られる。

これは釈迦を貶めているわけではなく・・・・、

「宇宙の真理を語るはずの仏法を、男に有利な宗教に書き換えねば生き残れなかった仏教の教団・・」・・・と受け取るべきだと、この20世紀・・21世紀の男尊女卑のインドの現実が訴えるのです。






佛説阿弥陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道経(大阿弥陀経)にも、地形文書にて検証すると、その無理押しの編集が発見できる。

例えば、


王聞佛經道。心即歡喜開解。便棄國捐王。王は、「佛の経道」を聞いて、この世界への疑問が開解し、王位を棄てた。(佛とは宇宙を支える存在であり、経道は仕組みの意)

行作沙門。字曇摩迦。作菩薩道。(王位を棄てた者は曇摩迦=心が晴れない者)彼は二十歳未満の修行者(沙門)となり、戒律を守る生活に入った。

到樓夷亘羅佛所。前爲佛作禮。却長跪叉手。白佛言。我欲求佛爲菩薩道。

彼は「この世界は佛に支えられた世界」と教えてくれた樓佛の所(巍巍たる如来の山がある厳島)へ到り、礼を尽くして菩薩道を求めた。

曇摩迦菩薩。聞 樓夷亘羅佛 説經 如是。即 大歡喜 踊躍。曇摩迦(二十歳位の若い時の釈迦)は、女神のみ理解できる経(宇宙の仕組み)を聞き、大歓喜した。

[なぜなら、樓佛は「經竟」(この宇宙は成長する為に必然的に構造を刷新し、新しく清らかな世界に変わるという正しい予告)を彼に説いたからです。当時のインドは今以上に、階級と男尊女卑が激しい世界だった事は容易に想像できるゆえに、若い釈迦がこの世界を苦だと感じとり懊悩する青年だった事と、彼の母が樓夷恒羅佛と同じ女神族出身だったことが、王位を棄てるほどの決意をさせたと思います。]夷亘羅佛 説 經竟。










私見ですが・・・

—————-この下の話は、本当に釈迦が語ったのか? ・・と私は疑問を抱く。「釈迦が作佛して阿弥陀になる」・・と語る。その阿弥陀が菩薩の時には、二十四願を奉行した・・と。この下に続く二十四願を検証すると、「浄土教を宣伝する目的」の文が含まれている。これが四十八願に増えると、それがもっと顕著になる。

【地形文書と所問本願経によると、作佛するのは梵志の子であり、二十四願を奉行する事が佛道だとは考えられない。釈迦はインド社会の慣習の中で、教団の維持に苦労していたと考えられるが、インドの男尊女卑の慣習に迎合して「王族・立派な男性・(母は女神の一族は秘めておいて)・各地の王族の庇護がある」釈迦を仏教教団の教祖に祭り上げて、インド社会で思いっきり宣伝できる「縁起の法と無常と無所得と空とetc・・」という「女神は存在しない男の世界の由緒ある宗教」という方向を確定したのが、釈迦と樓佛が滅後500年の結集だったと受け取っています。


樓佛は女神の子孫の代表であり、厳島の三女神の山々を「巍巍たる如来の身」と表現したゆえに、島山の地形の意味を理解していた事が判る。ゆえに樓佛が浄土への教えだけを特別視することはあり得ない。佛教はそんな狭い宇宙観ではないからです。また釈迦も、浄土の太陽系と地球生物に限った役割だけれども、縁起の法の利用の難しさと、『南無阿弥陀仏を唱えれば救われる』という説法のレベルの違いは、教団の営業を感じさせる。

それは弥勒菩薩の活動を「善権の安楽行」と所問本願経で予告されたが・・・、弥勒に関しては「地形文書」以外に確たる情報は存在しないと言い切れる。

なぜなら所問本願経の梵志賢行の求道の様子を樓佛が語ったが、それは佛の宇宙世界を覚った自分の求道の生活を、未来の末世の時に、再び母の傍に生まれて、再び同じ求道を行う・・・ことを予告したのです。

尚且つ、樓 夷恒羅佛は光の女神アマテラスの生まれ変わりの一場面であり、浄土への先駆けとして「女神が変性して男子に生まれて来て、梵志のこの世の最後の役割を果たす」のです。

それゆえに、12年2月15日・旧暦という・・必然に世を去る時が決まっているのです。三女神の生まれ変わりだからこその必然なる生死なのです。

全てが・・見えない世界において・・それを動かしているのです・・人間界の正縁も逆縁も、大地も時代も・・その為に動くのです。この宇宙の必然的な成長の為に・・・・。


これは梵志の子が女神の生まれ変わりであり、つまり宇宙の特別なる活動を聴く本物の菩薩だからです。釈迦と弥勒のみが、この人類の時代における眞の二人の菩薩なのです。水瓶の光148は、目が生ぜず光のみですから、人間界には登場しないと解いています。




さて日本の現代ですが・・・巷の新興宗教の作家は「梵志の子も・・あれもこれも・・釈迦の前世だ・・」などと間違ったことを広めている。梵志も弥勒も、その情報の少なさゆえに好き勝手なことを話しても良いのだ・・と考えているらしい。


所問本願経で、梵志の子の佛道は「善権」による「安楽行」だと語るが、「善権とは何を意味するか?」と「安楽行の真意は?」という疑問に答えを提供するものは、地形文書以外には、ほとんど無いと言えます。それ故に、宗教に関する教えは、、、地形文書でサニワすると真偽があからさまになるのです。


————この下のお経文は、釈迦が作佛して阿弥陀になった・・と語るが、それは間違いです。


阿弥陀仏というものはなく、釈迦と弥勒と水瓶の光が一体化して、阿弥陀如来になります。


この地形文書の情報は、インドで樓佛が説法した話には無かったゆえに、下のような勝手な作り話をお経として加えたと考えられます。


インド以外の仏教国に阿弥陀がいて、みな解脱している・・などと妄想している。これもインド社会で教団が生き残るための方便だったと考えられます。


もっとも古代エジプト文明のヒエログリフを解き明かす地形文書が存在しなければ、絵文字の解釈もお経の解釈も無明の闇の中・・・だったと思えます。

・・・私が話している意味がわかりますか・・? 大変なことをお話ししているのですが。





・・・・この下は結集の時の後付けと考えられます。・・・・・


《 曇摩迦便一其心。即得天眼徹視。便結得是二十四願經。則奉行之。彼はこの世が変わる未来の世界に生まれる為に二十四の願という話で未来の世界を予告した。

其曇摩迦菩薩 至其然後。自致得 作佛。名 阿彌陀佛。最尊智慧勇猛光明無比。

曇摩迦はしかるのちに 自ら作佛した、その名は 阿弥陀仏・・・。

今現在所居國土甚快善。在他方異佛國。 今、阿弥陀がいる世界はインドでは無いが、はなはだ快く、生物が憂苦を解脱しないということは無い。

教授八方上下諸無央數天人民。及蜎飛蠕動之類。莫不得過度解脱憂苦。


佛語阿難。阿彌陀佛爲菩薩時。常奉行是二十四願。阿弥陀が菩薩の時、二十四願を奉行した。

珍寶愛重。保持恭愼。精禪從之。與衆超絶。卓然有異。皆無有能及者。》



—————これらは500年後の作家の後付けです。釈迦が仏になっているなら、、太陽の軌道は二度の逆転を済ませ、生物は生殖本能から殆ど解脱し、怒りや暴力や嘘や戦争や支配や略奪や差別などは生じる事なく、、、貴方や私や生物は、この世に居ないかもしれない、、、そのようなことは、、、何も起こっていないのです、、、

だから、釈迦は今も、、あの世でその時を待っているのです。天の北極点が水瓶座に新しく登場する時を、、、、、。      2025\09\19金曜






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佛説阿彌陀三耶三佛薩樓佛檀過度人道經卷上  呉月支國居士支謙譯