地形文書 sanagi-map

地形を用いて記録された・・蛹の宇宙の過去現在未来・・・地形文書sanagi-map

日本で最も美しい女神の王国・・・だった島 (加筆0409)

ここに掲載した写真の山々は、すべて 神々のシンボルの山々 です






ただし、これらの山々は 晴れていても・・深い霧に覆われていて・・・・


この美しい・・・伸びやかで・・おおらかな・・・ 


超超太古の女神の一族の山々は・・・・




静かに ひたすら 静かに・・・・・・・・・・・・・・・・




問いかけても・・・  


何も語らず・・・・・・・・・・・






しずかに その時を待っている・・・・・





これらの山々のシンボル型は、すべて・・この完全なる母性529に始まりました・・・




ここに掲載する絵は、厳島の地図絵です。1:2500縮尺で1line=2mです。厳島の山は、山の形も高さも隣の山との接合ラインも・・・あらゆる角度からの情報が宇宙構造の要素の出現と成長の記録です。 ですから、この地図絵を192の象徴的な絵として、ヒエログリフの動物神や活動の性格などを特ヒントにします。また、山の形は全世界の遺跡の周辺を観る時のさまざまな判断基準にします。


ですから、ここに掲載した写真の山の地図にこれらの動物神の如き絵が含まれているわけではありません。


・・それは・・・これまで、全国で・・・シンボルの山を発見したら其の地図を手に入れて地図絵が含まれるが否か?と数十回調べましたが・・・残念ながら、数個の絵を含む山(磐城島、伊勢外宮、大江高山・・)を発見しただけであり、それも厳島の・・下のような明確な表現の絵ではないのです。
他の山々は「特定の山の形で・・特定の信仰を表現している」ということが判っただけでした。
日本はシンボルの山だらけ・・・ですが、地形が宇宙の情報として詳細に刻まれているのは、厳島だけと言えるでしょう。


上の白い狐の山の 厳島の地図絵









































































山々が 何も語らず 時を待つというので・・・・・ わたしもここで 何も語らず 
宇宙の響きに 耳を傾けたいと思います


















・・・・・・・・・・・・・・・今は末世の本番ですから 本当にこの宇宙が構造を刷新して・・・・


自制心無くても 心のままに 生きて行ける世界にかわるのです・・・・・


煩悩が湧くこともなく 負の心が湧くこともなく・・・・













古代エジプトのtoto神の祖 アオサギの予告です




地形文書で島山の配置と地図絵を利用して アオサギの予告の隠された意味を
解き明かした図です
下の各ポイントは、島地図の山頂点を±2m以内の精度(1:2500地図)で確認しています。








阿弥陀如来の地図絵です



顔は釈迦の座る図196、心は弥勒の耳を備えた図173、てのひらは水瓶の光148
これらの元は ダルマ360です・・自制心の象徴です。


ただし、自制心というのは、「宇宙の構造に問題がある」・・ということを意味しています。
つまり、ダルマの「自制心」を「昇華」した世界の基底が、釈迦と弥勒と水瓶の光・・・





  148水瓶の光は、今の第一原因の完全なる母性529の生まれ変わりですから、
次の・・・残り120ほどの新しい構造になった宇宙は、完全なる母性が父性の光に変性した世界・・・・つまり、新しい父性は清らかな母性的な性格になると解ります。






   196顔の釈迦は、煩悩を解き明かす人・・という意味ですが・・・
座禅の図ですから、煩悩が湧いても動かない・・・思いの手放し・・などといわれますが、宇宙構造のほとんどの要素(神々・過去仏)が活動を終了しますから・・・今のように、闘争欲・性欲・支配欲・物欲・名誉欲・・・・etc が湧き出ることがほとんど静まることを意味しています・・・・欲求がふつふつと湧いていても自制する・・・という、これまでの人間のあり方が宇宙的に変わるのです。・・・・もっとも、今の構造の現実の世界からソレを想像することはなかなか難しいことですが・・・・





   そして弥勒173は、地形文書の60前後ある地図絵の中で唯一・・「耳」を備えています。
この耳はtoto神のアオサギ443が生みます(√ 443→158)
この秘数の答えは、アオサギの子のひな鳥409が、未来の弥勒の梵志の子である・・・という地形の記録を裏付けています。
 弥勒の耳は、その活動を意味します。
浄土に移行した後に誕生したときには、「弥勒=三女神に引導を渡した者」と言われるようです。






しかし末世には・・・男の子として梵志の家系に生まれます。その家系は昔・・四国の神野郡の中に居たのです。そして大正年間にその土地から消えてしまいますが、地元の法務局に行っても、土地や文献などの・・・すべての痕跡もまた消えてしまいました。・・・・・それはきっと、古代エジプトでもそうであったように・・・・父性中心の世界になるとソレ以前の母性中心の世界の痕跡を無かったものにしたいという力が働いたのでしょう・・・・それは当然と思います。


梵志の子は、一族の先祖の生まれ変わりであり・・・女性が男性に変性して生まれる先駆けであり、その梵志の一族の宇宙が指名する特別な者・・・が生まれ変わり死に代わりして・・・最後に・・・・野に下った貧農の一家に男の子として生まれるのです。


そして宿命に導かれながら・・・・人類の誰一人・・聞いたことも見たこともない宇宙の真理を覚るのです・・・しかし、この宇宙の基から端まで理解しても、ソレが現実の構造として変革して初めて・・・「成仏」となります、つまり人間をやめて・・・宇宙の新しい要素として働くのです。
釈迦と弥勒はそうなるのです。人間の姿で生まれたのは、菩薩の仕事である「宇宙の必然なる変化」を予告するためです。ですから、人間の仕事が終われば・・・宇宙に還るのです。
(ちなみに、今の宇宙構造は、キリスト教の父神やユダヤ教イスラム教牛頭こま犬toto神・・・等々・・・みな・・・構造の要素として働いているのです。




梵志の子が覚っても佛にならないのは、・・・弥勒菩薩所問本願経に語られるように、「浄国土・護国土・浄一切・護一切の為なのです。
仏になるときは、構造が変わるときだからです。




しかし、本当のところは・・・・・・・・・・・・・


弥勒が遠慮しているから構造変化が起こらない・・というのではないのです。この蛹の宇宙は、神々や佛の何者かが・・あるいは人類すべてが・・・一心に願おうとも・・・・完全変態に進む必然なる時節が来なければ・・・・・構造は変わらないのです。


それは人や神や仏にはできないことなのです・・・なぜなら、神も仏も人も・・・・すべては今の宇宙の要素の現れ・・に過ぎないからです。私達は宇宙が映った存在なのです。


・・・ただし、人類だけがこの宇宙のすべてが映っていますから・・・・・・・・・・自由に考えて・・自由に行動できる特殊な存在なのです・・・・・






次の宇宙の「煩悩に振り回されない人」・・・の絵(聖なる地図絵)です