地形文書 sanagi-map

地形を用いて記録された・・蛹の宇宙の過去現在未来・・・地形文書sanagi-map

神々の山が語りはじめた



何者かが・・・今の大きさの地球人類より以前の・・・地球の人類の世界に・・・



地形文書は、


「此の宇宙は、無の空間ではない」と示唆する。無ではなく有でもない、
しかし働きの時を待ち望む或る種の力が、母体のような無限宇宙を満たしている」と
地形の標高値に設定された秘数で示す。
「私たちの宇宙は、無限の世界の中に誕生した一個の生きているさなぎである」と明かす。
「私達の宇宙は、蛹の如き生命体宇宙として誕生し、成長の過程で完全変態する」と明かす。
「蛹の宇宙の始まりは、完全なる母性529の目覚めであり、静かに始まった」と示す。
(ヒカリ487の出現は五番目であり、これが私達の宇宙の始まりではない)
「蛹の宇宙が誕生した目的は、人類の誕生にある」と明確に示す。
「此の為に、存在が誕生するための必要不可欠な要素が、蛹の宇宙へと、外から飛び込んできた」と示す。
(蛹の外にいる要素が、マイナス1の働きに変容して、蛹の宇宙の構造の要素として働いている)
「私達の宇宙は小さな生命体であり、星や大陸や海や生物は・・みな・・現れ方は異なるが、蛹宇宙の構造が映ったものである」と地形文書がはっきりと語る。
「(特に)・・人類は・・この宇宙構造の全てが映った珠玉の存在である」と明かしている。


・・・・・・・蛹の宇宙の・・珠玉の存在・・という意味の重さが理解できるだろうか・・・・?




これは、人間や神々の感情のレベルの話ではないのです
神々の怒りとか、神々の許しとか、人間同士の許し合い・・などの話ではないのです
私達の此の蛹の宇宙は、完全なる母性の願いの上に成り立っています
それは『大地よ生まれよ・・』などという単純な願いではありません。


この肉体を生むために光による光合成が必要でした。その為に、自らの母体即ち宇宙構造を破って光を生みます、出産の始まりでした。
その為、構造の崩壊が始まりますが、ヒカリの力を弱めると共に崩壊そのものを別な世界に封じ込める働きが起こりました。頭頂部と後頭部の働きが誕生したのです。忍耐と記憶が含まれます。
それで、崩壊は一部が治癒し、さらに父性の荒魂の誕生を誘発することなどで生命誕生のための構造が出来ました。それが女性の月経という活動とオスの生殖欲の誕生となりました。


これで全てではありませんが、これらは星として誕生し、星の上で大地や水として誕生し、
それらを基に生物が誕生し、やがて哺乳類が、そして人類が誕生するのです。
(神々が土をこねて人形のように人間を造ったとは記していません)


私たちが誕生するまでに・・永遠とも言える永い時間が経過しているのですが、それも、第一原因の完全なる母性の願いのうえに・・この宇宙全体に響くほどの大きな願いが私たちを包んでいるのです。



あなたがたが、これまで信じていた神々や仏は、この宇宙の構成要素であり、この宇宙の部分を支えコソすれ、全体を動かす存在ではないのです。



ならば、完全なる母性が最強の神か?・・と考えるのは、間違いです。最強など無いのです。究極の母性の働きなのです。支配などしないのです。


うまく説明できませんが、この世界は母性の上に成り立っているのです。
しかし、今は父性が勝つ構造上の時代なのです。


それが・・もうじき・・終わるのです。構造の成長過程なのです。


この山は光を生んだ母のシンボル形、山一つを形に。土佐の近く。




さて、最初に戻りますが・・・・・・・


何者か・・というのは、小豆島は「アダムとイブが地上に小型恐竜から突然変異によって誕生した」
(もちろん、メスの恐竜の腰が人間の女性の機能ほどに進化した時に産まれた・・と地形文書は示す。)


しかし、その誕生前の時点の形が、小豆島の島の形だから・・・いまの人類の祖と言われる彼らの前に・・一体・・何者がいたと言うのか???


それは 厳島に関しても同様だ・・・ 


ただし、厳島に関しては その各山の土や巨岩の作りの特徴から 「それぞれの山は その山が示す一族の者たちが 造ったのではないか?? 


それぞれ分担して 自分たちのルーツを証しする山を創った」と 解読の最中に 密林深くさまようように歩いていたとき 宇宙の役割の繊細さと粗雑さが岩の壁の作りや 治水のための小さな滝壺などから 推測できた



・・・繊細な岩と粗雑な岩・・その山の神々の性格に・・比例するようなつくりが見られる・・・思い過ごしではない・・人の心が その人の姿を造っていくことによく似ていると思った








すなわち 砂を瀬戸内平野から 運び上げることさえできれば いくら高い山でも 上で岩に固めて 自由に 高い山を 設定できる のだ・・・・・









「何十万年 あるいは何百万年昔に 
人類の 男女が小型恐竜から生まれてくる」 ということを
彼らが・・・天空から見る情報として 土を岩に固めて 創った・・・それを私達は「島」と呼ぶ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・


小豆島、厳島、大三島などの芸予諸島群、周防大島や姫島etc・・・みな、宇宙の要素と活動を、天空から見る立体地形情報として 創っている・・・・人工的に・・・  でも 誰が?????




MacのMapより転載、書き込み                                 "Copyright © 2012–2023 Apple Inc."

芸予諸島(安芸と伊予に囲まれた諸島群)と、下の厳島の蛹の頭部が大まかに似る






芸予諸島は、瀬戸内平野が海になったため・・・散り散りになってしまった蛹の頭部と腹部に見える
蛹の腰が、太陽系と人類の情報になるが、此処には無い もっと東の小豆島がそれに当たる


両方を併せると、厳島のような蛹の宇宙の形になる・・・・ただし、完全なる記録の島と呼べるものではない・・・・厳島よりも ずっと 太古の地球の時代・・


つまり、 人類の中に生まれた女神の子孫たちの 宇宙の構造に関しての記憶(認識)が まだ 深く届いていなかった時ではないか・・と思える



----------上の芸予諸島と厳島の地形文書を比較すると・・・



大山祇神社の入り口の鳥居の横には、父性の荒牛396タケルの山が女神たちの山とともに
鎮座している・・・(厳島に比較すると 生口島の辺りにあるはずだが・・・)


「瀬戸内海国立公園」の文字の島は、女神ハトホルの山に相当、地形図は未確認


その左下の小島は「鵜島」(うしま)、特徴のない島だが・・・しかし
この島の位置は 厳島のtoto神の予告の杖を構成する「厳島神社」に相当する


中央下側の岩城島は、厳島の「女神ハトホルの山と明日の獅子そしてダルマの山々に囲まれた「はらみの里」に相当する・・・しかし、積善山の地形の地図は「蛇188」を見せる
(厳島の地形文書では、大山祇神社の左上・・蛹の額にtoto神の蛇が来るのだが)



厳島の地形文書の「蛹の宇宙を構成する佛たち」主要一覧図  右クリックで画像拡大






一つ言えることは 瀬戸内海の島などの「岩」は 砂を固めて創っている
凝固させる何らかの力が 存在していたと 考えられるし、其の証拠の岩が わざわざ
島山の奥に遺されている


------------------------------小豆島は人類誕生の太陽系の記録の島


ちなみに 人類が最初に生まれたとされるアフリカ大陸は、今の欧州大陸(荒牛396)が母性を侵略征服したのち女神の幼子(415アフリカ大陸初期・のちの女神ハトホル)を奪う
子を奪われた女神龍が怒りを其の額に生じさせる(タゲリ鳥309豪州)・・・其の時 荒牛の角286が折れて追放となる・・・つまり荒牛の大陸は今の欧州大陸の下に眠った・・・それでアフリカはアラビア半島の横に連れてこられた形となった・・・・と、神話的に地形文書が読める







厳島という地形文書の宇宙構造の記録の中で
イブ(283,282,278)の腰が  人類の女性の腰の如くに進化する


その後 アダムが突然変異で猿のような絵で産まれる
イブはその後で産まれる
そのときの地形文書の記録(地形図)に酷似するのが 小豆島


芸予諸島のすっぽりと抜けた蛹の腰が ずいぶん離れた場所にある














さて、アダムとイブという 人類の初祖


数百万年という考古学などの説によると 地形文書も小豆島も、岩城島などの旧蛹崩壊型は、理解が追いつかない


いったい 何者が 小豆島という この記録の島を創ったのか??????







それは小豆島だけではない


厳島という 完全なる記録島も 同じ疑問にぶつかる


大三島や岩城島また弓削島などの 半分の蛹の島 



今の人類の先祖が 造ったのか と あらゆる推理を巡らせるが・・・・


しかし 地上に発見されてきた考古学の証拠が 今の学説をなすが


それでは 説明できない 






アダムとイブ以前に いったい 何者が・・・・・・・??????





テレビドラマではない!! 





厳島の地形文書は・・・・何万年も前に 地形の情報として 遺されたもの


対岸の廿日市の、のうが高原の巨石文明の痕跡よりも 比較できないほどの情報量で創られている厳島
 


単に上空から見ただけでは 気づかないほど 繊細で 詳細で 立体複合的で 山頂点に設定された「宇宙の構造の要素の秘数」は無限を語り 外形も何かを主張し 時の流れは山の形の変化で表現し・・・・・・






いったい  いつ  誰が  今 この時代に気づくように・・・と 


わからない!!!     簡単に宇宙人が・・などと 片付けられない!!







上に掲載した「蛹の宇宙の主要な佛たち」一覧図が この宇宙の様子を明かしているが
この佛たちの全てが 私たちの体になり 精神を構成し 歴史を進めてきたのです


つまり、この宇宙と私たちは ほぼ 一心同体であり 人類が『神・仏・天使・・』などと呼んでいる存在も この一覧図の中にいるのです


もし仮に この蛹の宇宙の中に 別な人間のような存在がいたとしても・・・・
もし女神の一族が女王蜂のように特殊な能力を受け継ぐ存在だったとしても・・・
物質文明と言われるこの世界は 心が全て丸見えの清らかで もしかすると かなりシビアな・・・・浄土に変わるのです




地形文書を思い出すと・・・・


蛹の宇宙は 完全なる母性の目覚めによってはじまり・・・補佐するために父性が生まれ
この宇宙の代表として 小型恐竜から人類が誕生し 生命を産む自由な力を得るために♂が主権を握る時節が構造の中に設定され そして 今 其の時節が終わって 次の静かな時節に進みかけているのです・・・・それが 弱肉強食が終わり静かな清らかな浄土が始まる・・・ということなのです  完全変態なのです






厳島の地形文書は、


【 この蛹の宇宙は、第一原因の母性の願いが、人類として生まれることを願って目覚めた】
・・・・と記している。



ただし、この宇宙の場所に・・この地球の場所に・・これまで無限に繰り返されてきた生命誕生のための蛹の宇宙の目覚めと成長そして変態と産卵・・・・その宇宙卵の中に、再び時が満ちると・・母性の529 が目覚める・・・・・このように厳島は語る


この記録の中に人類よりも先に生まれるものは・・・水陸両生のペンギン496,490と鳥505


そこに「この宇宙をこねて作った未知の宇宙人・・・」などは全く登場しない!!!!!


このさなぎの宇宙の第一原因の母性529は、女性の初祖のごときものであり、その後に続いて出現する役割たちと、さまざまな活動を起こすことで、宇宙の構造や生物の体や精神が生まれてくる・・・それが地形文書として克明に記録されている



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それはとりあえず・・・置いておこう





最近・・・急展開しているのが、釈迦と弥勒が登場すると言う予告の山々や島々。



特に・・・弥勒の出現の予告の島々は・・・なんと!! 美しいものか!!!


弥勒と浄土は時期が密接に絡んでいる・・・・と、お経から判る。








toto神の祖であるアオサギ443 彼女が雛鳥409を生む
アオサギは 光487を産んだ母505の 見えない世界への転位
雛鳥は 蛹の口に 人の子として生まれる



そして 梵志賢行 などと呼ばれ 求道の果てに 眞を記憶の中から思い出して
いく
彼は 何百万年という時間を超え 地球さえも超えて 確かな記憶を求めて苦しむ
これは 現実の世界か・・・・・と




三津浜から柳井への航路  出発の少し後に航路を振り返る


鶴島は・・・アオサギのひな鳥409の出現を
予告し 梵志一族に人の子として生まれ ただし 一族の最後の一人であり 彼が覚り
を開いたのち 人知れずこの世を去ると この現実の世界における女神の活動は・・
終わるのです  彼の周囲の者たちは 誰一人 彼に気づかず ただ 煩悩の姿を彼に
見せつける役割をする それに苦しむ人の役割をする・・・・・・


人間に生まれてくる事とは何なのか・・・????


なぜ 楽しいのか  なぜ 苦しむのか  生き延びるために 自分を誤魔化すのはどういう事なのか


彼が 其の答えを得なくても この蛹の宇宙は 刻一刻と 完全変態に向かって進んでいる


止まることはこの宇宙が死ぬこと 成長の過程として 変態して 羽化して 蝶の宇宙になるのです






 下の写真は、上左のツル島を向こう側から見た形(中島汽船)


続12/26  0837


夏から秋 そして冬の今 ・・・・・


この半年の間に 急展開した・・・・「弥勒と釈迦の登場を予告した島々・山々の気づき」


わたしは この二十四年間 地形文書の解読と検証に 自分を没頭させてきた


その間 あちらこちらと 日本中を熱に浮かされたように 神々の山を求めて 歩き回ってきた


初めは 明確な形のものだけ  それが見えてきたら 今度は多少規模が小さいもの 大きいもの  そして 大きな力による造山 小さな力による造山 または整形されたらしき山々  





それらは皆 一つの山に複合的なシンボル形を含めている 


だから 見ている位置が変わると形も変わり 主張する意味も変化する


例えば・・・・・・


四国 伊予北条に 「鼻の形の山々」 がある。広島松山航路の船から見ると その変化がはっきりと判る  地上の北条市の街中からも鼻の形が確認できる
しかし 右方向の松山観光港へ近づくと この三つの山は 三角の光の山に変わる
逆方向へは 逆の変化が起こる ・・・花の形は古代エジプトのヒエログリフにも出てくるが 山の形としては かなり珍しく 数が少ない


鼻も三角錐の倒れた形も斜め台形も 皆 光を生んだ母505のシンボルです
鼻以外の二つは 大きなものも 小さなものも 500m級の山の峰にも
いっぱい 日本中に存在します  世界中の神話では 光を生んだ母が この宇宙の
第一原因だと考えているものが大半ですから 遥かな太古の時代に このシンボルを
表現する民族が溢れていて 皆 女神の子孫を護っていた・・・と考えられる
女神の子孫がいなければ これらのシンボルの山々は創られなかったのですから・・・



光を生んだ母の象徴形の一つは「鼻」 生物の鼻が生まれる雛形になります


「三角」は 光の象徴


これは 母が光の娘を生む その娘は母になり また光の娘をうむ・・・・その血統がアマテラス女神の一族になるのです



現実の世界では その一族の女性が死ぬと 男がその王位を受け継ぎ 「天照大神」と名乗った 女神の地位を 男が政治的に受け継いだのです・・・


(もちろん女神の一族の女性から産まれた男の子でなければ 皆が承知しないでしょうし 余談ですが 清盛も同じパターンだと考えられます)






現実は現実として推移していきます


しかし、地形文書が問題視しているのは・・・・・・・


人類を産むために誕生し成長し変態し産卵して終わる・・これを繰り返す蛹の宇宙・・・・


この生命体宇宙を支える役割が存在し それらがこの宇宙の構成要素として活動を続けている





それゆえに 星も 大地や海も 生物も 人類も 生死を繰り返しながら 宇宙時間を渡ってきた・・・・・ その根源の「存在を生む役割が母性の三女神」なのです


三女神に父などいないのです この宇宙の三大原因ですから・・・・


(父がいると語るのは 政治的な一族の伝承であり それらのさまざまな一族には じゅうような話だと思いますが この宇宙の全てを語るものではないのです)






この「存在を生む三大要素」を 「如来」と呼ぶのです


如来の解釈はさまざまですが・・・私たちの宇宙のすべての存在の根源が 三女神という三大要素です  


それを 古代エジプトでは 「Ank」(十字架の元)として表現している
其の元の情報が地形文書の三女神の山の地形図です



このAnkが 成長して 女神龍になります toto神のアオサギとヒナ鳥が龍の口になります
ひな鳥は女神龍の口として 人の子として生まれ 母性の活動の終了の時期が到来したと
告げるからこそ 浄土で「弥勒」と呼ばれるのです ぼせいに引導を渡したもの・・・
それは女神の子孫であれぱこそ・・・の活動なのです



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上の地形文書の その一つ一つの役割を「佛」というのです 動物で表現したのは
其の活動の性格が表現できるからです



(修行して 悟りを開いて ナル仏・・というのは、立身出世して社長になりました・・と同じこと 命を賭けて困難な修行をされる方々には尊敬の念が沸きますが 「佛」というのは 私たちの宇宙を支える要素のことであり この体 この大地 海も 気象も 星々も 太陽の輝きも すべて この宇宙を構成し活動している要素の現れであり それゆえに『この世界は佛で構成される』と理解され 曼荼羅図や蓮の花托などで表現されるのです)







釈迦が 大阿弥陀経で 三十三の過去佛を紹介していますが それも同じです


「過去に覚った佛」というのは 蛹の宇宙が成長するために 次から次と新しい構成要素を出現させますが  その要素を擬人化して佛として紹介しているのです


三十三という神秘的な数字は   11✖️3 つまり 11は黄泉の国の回転数ですから 母が子供のために忍従する・・その極めて母性的な活動を象徴する数なのです


( 今の太陽も この働きを持っているようですが・・)




つまり、


佛という存在は 私たちの宇宙を支えている要素なのです 地形文書の数十種類にのぼる地図絵がその「佛」たちなのです


そして 次の私たちのステージが「楽土・浄土」であり、その宇宙ではこれまでの要素のほとんどは役割を終了します そして 新しい要素が あたらしい世界を生みます
・・・・・・それが 釈迦と弥勒と水瓶の光 という 新しい父性の三要素なのです


彼らは 個別には「佛」です しかし 三つで一つの「存在基底」つまり「如来」になります


彼らが 新しい蛹の生命体宇宙の・・・存在を生む・・・父性の存在基底・・・になるのです










それは 今の 清らかな母性が新しい父性に変性して支える世界です


だからこそ 弱肉強食が終わって 静かで清らかで あらゆる暴力や狡猾な嘘や病的な虐待や強引な性欲や執拗な支配や不毛な競争などが終わるのです


それを生み出していた宇宙の要素が役割を終えるからです


それを 末世とか終末 などと呼ぶのです







この蛹の宇宙が 完全変態して 構造を刷新して 蝶に成長する・・・・・


その過程が 今の太陽の軌道が 女神ハトホルに移った時から 始まっているのです


それゆえに 洋の東西で 様々な予告や預言や警告が 人類を騒がせていたのです




東博 迦楼羅 復元仮面 (玉を咥え 玉に鈴がつく)


( 鈴は古代エジプトの女神の楽器シストリムの象徴 宇宙構造の刷新を報せる音色  玉は弥勒菩薩・ハトホルの子 )






この写真は 東博 法隆寺館 迦楼羅と同族の女神の子孫の女性であることは間違いないのです
天智、天武の妃と伝わる 額田王(ぬかたのおおきみ)も この一族なのです
「船出の歌・・」と語られる歌は 単なる戦いに出かける歌などではありません!!


悲哀の思いを込めた「女神の一族の終わりを告げる歌」であり


・・・・その深い悲しみと "秋=安芸"の自らの一族と先祖に許しを乞う歌 なのです。






釈迦と弥勒は やがて 宇宙の新しい要素として 楽土・浄土の世界を支えます


だからこそ 「菩薩」として それを予告するために 人間の世界に生まれてきたのです





宇宙人などではなく この宇宙の始まりからの 母性の記憶が 女性に受け継がれているのですが 母性が父性に変性する先駆けとして 釈迦と弥勒が人間として登場するのです


もちろん その母は三女神の一族の子孫の女性であり 父もまた父性の必然なる役割に生まれた男性です  


これらは 必然なる血統の中に 本当に切れるか消えてしまうか・・・・という 微かな一本の細い血の糸が この蛹の宇宙の成長のために 現代まで生き残ってきたのです


ほとんどの女神の子孫は  無理やり嫁がされ また転居を余儀なくされ また子を失い また 名を名乗ることを制限され 養子をもらったりしながら 次節が到来するまで待ち続けてきたのです





その信仰の証が 東博の法隆寺館の一階 仏像の間の 「弥勒(鈴をつけた珠)を生む迦楼羅の 仮面の下の尊顔を見れる女神像」(繭を両の掌で包み持つ像)






上の写真と同じ女神像



もう一つ


須弥山の玉を差し出す若者像  二態


これが 弥勒の前世(末世)に "梵志 賢行"と呼ばれる若者の像です


梵志一族の最後の一人として生まれる彼は 一般人として 一般の家庭に生まれます。


それも後に佛になり如来の心にもなる彼ですから 弱肉強食の世界の終わり頃に登場し


困難な人生を歩むのです  


尚且つ 彼は女神の変性ですから 戦うことを嫌い ズルいことを嫌い 男子として普通に性欲を備えますが 愛の対象は何十万年という運命の人だから一瞬で相手を見つけるのです しかし 相手が別な運命に翻弄されていたら 生涯 男女の愛に無縁な運命となるのです 適当に相手を見つけて・・・などということは無いのです たとえ人々と同じように伴侶を決めて家を建てて子をうんで育てて・・などという道を歩もうとしても 歩めないのです
全ては 何千 何万という一族の先祖の御魂が 彼を突き動かすのです 進むべき方向へと




須弥山の珠は 蛹の宇宙そのものです  めがみが愛おしむ繭と同じです
彼の後頭部に光背が備わっていた突起が見えます
一般人の男子でありながら 光背を背負うのは 気づかれず菩薩の役割を果たし
浄土に進む時期を覚り 浄土では佛になり そして如来の心にも生る者だからです


この若者の像を制作し 浄土到来が宇宙の真理だと信じていた人々は この像を弥勒の前世の梵志の子だとわかっていたのです・・・・明らかに 女神の一族だったのです


そして少なくとも それは・・・四国伊予に神野郡が設置され、あちらこちらの神々のシンボルの嶋や特別な村から人々が消え 無人になり 馬の放牧場になる・・・それ以前の時までのことだったのです







これらこそ 他の仏像と一線を画す・・・・女神の一族の 信仰の証なのです



四国西条と新居浜周辺に 「神野郡」を設置し 各地から其の一族を移住させた・・・
それが 女神の存在を消していく始まりだったのです


聖徳太子の頃から・・と言われますが・・・


西条と新居浜は・・・・・・斎場だったのです






なぜ其所が神野郡という斎場になったか・・・・・??






それは 其の二つの地方には ほとんど  神々のシンボルの山が見当たら無いからです


其の一族にとって シンボルの山は 自分たちのルーツの証・・・・・


それが無い所への移住は 心が枯れてしまったことでしょう


もちろん 国の政治的関与は疑うべきもありません・・・





だからこそ 宗像大社や大島 沖ノ島に シンボルの山が無いことと同様に
西条と新居浜の神野郡にも シンボルの山がほとんどないのです


淡路島の伊弉諾神宮も同様です  石鎚も 磯野も 



皆 正直なのです






女神のシンボルの山々を 自分のものとして 間違って使うことは しないのです


母系と父系は血統が異なるのですから


そして推古 斉明のあたりから 世の中心は  父系になるのです 父系の場所取りが始まったのです



女神の一族の数十万年という昔からの 特別な場所を外していることは 男系の一族と同族の人々が 宇宙の真相を知っていたからこそ・・・・ピッタシと外しているのです



そして少なくとも 古墳時代の終了とともに この宇宙の時節にしたがって 父系の世界に変わったのです


これは 必然なのです





日本の天皇家が 蛹の宇宙の 天の北極点の役割を担ってこられたのです(161の  140mline登場) 鳳凰です


其の後 今の太陽の軌道が確定しました(241--137の128mline確定)女神ハトホルの役割



それから 千数百年・・・・現在は 120mlineにかなり近づいているのです











この光を生んだ母505と左の飯盛型の完全なる母性の山
この画面の左に 下のアオサギのひな鳥の島・つる島がある
鶴は アオサギであり また首が長いハトホルでもあるのです








505の母の山は 倒形三角錐の形にもなる






そして 瀬戸内海によく見られる光の象徴に近い形になり・・・


船は 三津浜に着岸する
三津浜港にも 三角錐の倒れた形(鼻)の山が 弓削島とおなじくらいの大きさで鎮座する


瀬戸内海は・・・・・


神々の山で 神々の島で 溢れかえっている・・・・・・


でも  誰も気づかない・・・・ 神々の子孫たちが住んでいた日本列島なのに・・・


地球の他の大陸や島々や国々とは 全く違うのに・・・・


日本人は 本当に 眞の神々の子孫かもしれないのに・・・ 


その痕跡を なぜ・・・探らないのか・・・????


なぜ古墳時代とその前を・・・・無視しているのか・・・・山や島が 語っているのに・・・・!!!