地形文書 sanagi-map

地形を用いて記録された・・蛹の宇宙の過去現在未来・・・地形文書sanagi-map

2018年及びそれ以前の解読の世界






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梵志の子の活動について         2018年4月30日 1:18







弥勒菩薩所問本願経 部分読み解き                                     
引用:SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版 (SAT 2012)


爾時有 梵志長者子 名曰 賢行。
從園觀出遙 見 如來 經行 身色光明


此の如来とは、「私たち生物や星などの存在を生む根源である"存在基底"を意味する」言葉です。
此の生命体宇宙の始まりから、母性の三つの役割が基底として働いてきました。
それが上の写真の、「額 529m、鼻 505m、口 487mによって形成される女神の横顔」です。
それにプラスして「胸 415m/241m」が女神ハトホルとして加わります。
胸は哺乳類の出現の象徴です。
ゆえに、哺乳類誕生の時から、女神ハトホルの終末出現は、すでに予定されていたと云えます。


賢行は、それまでの人生で数々の経綸の働きを知らぬうちに受け取り、時が満ちた時、自然に、風に吹かれるように、導かれるように、追い立てられる如くに園を出て、此の女神の山や周囲の山々を、歩き回るのです。
それは、「木々の声を聞き・・・、巨石の声を聞き・・・けもの道に導かれ・・蝶古代の遺物の数々に遭遇し・・・そして、山々の巍巍たる形に心を震わせながら、古代エジプトやメソポタミアまたインドや日本の古墳などなど・・・その深い関連に気づくのです。それは自然に気づくと云うよりも、忘れていた事を思い出すのです。


賢行は、此の宇宙はビッグバンにより始まった・・という科学の説明と異なる情報を知るのです。
・・・・・此の宇宙は、言葉以前の・・大いなる母性の願いが目覚めることによって始まった・・・と云う事を理解するのです。もちろん、其れは感情的な理解ではなく、何年も何年も歴史や科学などを検索し、自分の理解の検証を繰り返すのです。そして、自分が理解してもしなくても・・・科学が正しいと認定していてもしていなくても・・・この如来の山が、人類として生まれる事を願った証しである・・・と確心するのです。それは、自分が知る以前に・・永遠とも言える宇宙時間を継続して・・・、此の存在基底を源にして・・私たちの世界が存在してきた・・と云う事を覚ることなのです。


如來之身不可思議。巍巍如是光色妙好威神照曜。吉祥之徳以爲莊飾


巍巍とは、委ねる/鬼/山 で構成された字です。
字通では "巍字条九上に「高なり。嵬に從ひ、委(ゐ)聲」とする"と説明する。
委ねるは、字通 の委の引用  甲骨羽 
この甲骨文は、稲穂の稔りを祈るような解説だが、
単に 稲穂 ととらえるべきではなく、「生物を生かす働きをする存在・活動の経綸に随う女神(母性の特別なる子孫)の役割」を表現しているのです。
ここで「女神」という言葉を用いるのは「母性の血統の中で、三女神やハトホルの血筋が最も濃く受け継がれ、宇宙の時節において、存在基底の役割を果たす一族」という意味です。
弱肉強食の戦いに勝った王族の中の姫・・と云う意味ではありません。
529/505/487/415という女神の一族は、それぞれ火に焼かれたり、殺されたり、略奪されて嫁にされたり、犯されて殺されたり、腰を焼いて死んだり・・・・さまざまな筆舌に尽くしがたい経綸の役割を果たしてきたのです。
其の役割を・・血統の宿命として・・受け入れる・・と云う意味が「巍」です。


ちなみに「巍」が「高なり」と解説されます。
気づいた人はいるでしょうか? 日本の山の『・・高山』という山々は、経綸に関係する「神々の山に付けられている名称」であることを・・・。


例えば、萩の高山、大江高山・・・それぞれ、歴史以前の意味深な山々なのです。




知賢行長者子梵志 心之所念。便過其 身 上。 適越其上已。便得 不起法忍。



梵志は、其の山々から触発されて、山々が語りかける其の形状の意味、宇宙の神秘、わずかに残る巨石が語る言葉・・・その高さな何故? その形はなぜ? それを人類が探究してきた様々な知識と照合しながら、しかし結果的に、それらを放棄して・・常識を飛び越えた情報を理解するのです。


賢行は、「不起法忍」即ち「仏教のいう空」を、数の中に理解するのです。
「無限」を理解し、「他生」を理解し、「生命の誕生への働き」を理解し、「直線的時間という概念の崩壊」を覚るのです。
しかし、賢行は・・・・「神がかり」になる事はありません。
人間として普通に理解できる事でなければ、それはまともに理解したとはいえない・・・つまり、子供でも理解できる事でなければ、普遍的とはいえない・・と考えるのです。


特殊な精神状態の人が、特殊なことを思いついたとしても、それは其の人だけの世界・・・生物全体の理解に広がる事は無い・・
普遍的な理解であれば、それは、今、此の世界を支える力として、働いているはず・・・・それこそが「眞」であると考えるのです。
ゆえに・・・賢行は・・それ以後何年も何年も・・・十年過ぎてもまだ・・検証するのです。「自分」という存在其のものも、検証の大きな対象となるのです。
そして、其の事が、数々の覚りを導き出すのです。
ただし、それは人類の常識とは大いに異なり・・誰ひとり・・共に歩こうとする人は現れないのです。また彼自身、友を求めたり、伴侶を求めたり・・そのような人間的な健康的な生活を求める事を忘れてしまうのです。


聖足下生相輪 其輪妙有千輻    
此土地及山陵 不能動無上尊


やがて、須弥山の上を歩いている事に気付いた賢行は、足元の大地に「輪」を見出すのです。それは「宇宙の星座」であり、「構造の要素」であり、「仏や神々の象徴」であり、「地球の大陸」であり、「生物の内臓」であり、「生物の本能の素」だったのです。



釈迦が「無明」と語った煩悩の元が明らかになるのです。





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 太陽の軌道と、父性の性欲の性格の・・・・・過去現在未来              2018年7月25日 3:13






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大阿弥陀経を読む                 2018年12月27日 10:56



提惒竭羅から樓夷亘羅まで34佛の名。それらはすでに佛になり、宇宙構造の要素になって、現在の此の生命体宇宙を支えている。



島の地形に刻まれた「過去仏(神々)」たち
釈迦が・・あるいは楼 夷亘羅佛が「三十三仏の過去仏」と語ったのは、33,18,11,63・・など、この宇宙の活動に関わる重要な秘数のうちの33(11✕3)を使ったものと思えます。
地形文書では、人間を生む宇宙構造の要素は、人間のDNAの数63と同じくらいありそうです。



次に樓夷亘羅の説教を聴いて王位をすてた曇摩迦は35人目の仏、釈迦になる。



  ただし、阿弥陀の世界に移った後に仏の働きをするのであり、それまでは菩薩のままである。縁起の法は、阿弥陀の世界に生まれるための、魂返しの法であり、此の宇宙の眞相のすべてではない。



 すなわち阿弥陀の世界の特徴を楼佛から教わった中から、曇摩迦菩薩が「便結得是二十四願經。則奉行之。」と、二十四の項目を選んで予告した。


 その未来の唯一の世界・阿弥陀の世界に生まれる為に、縁起の法によって、荒魂の因縁を断ち切る処方箋を示したのである。ゆえに竜樹が吉祥なる法だと言ったのです。


また、在他方異佛國。即ちインド以外の佛国の話になると示唆している。


自然に作佛する・・・即ち此の宇宙が必然的に新しい構造に移行する時、つまり 『阿弥陀仏が作佛する時』・・・・、
"教授八方上下諸無央數天人民。及蜎飛蠕動之類。莫不得過度解脱憂苦。"



阿弥陀は二十四願が成就しなければ作佛しないと語る。
即ち「阿弥陀が仏として登場する世界は、願成就の世界になっている時」・・と。
しかし・・・・



これを正しく言い換えれば、「悟りを開いた仏や神の願いによって、此の世界が変わる・・と理解するのは間違い」と言える。


即ち、
此の世界が成長する過程の一つとして、その変化のありさまを、予め宇宙の成長に関わる・・地形文書に記された・・特別な血縁の者が自然に自覚し、人間の世界に知らせる活動をする。それを『菩薩行』という。



菩薩が紹介する情報が必ず・・次の新しい構造になる。


その構造の変化は・・・菩薩の役割をする一族の中から、時節因縁によって、幼少から旧い構造を苦に感じる年月を過ごす者を生む・・・のです。
ただし、人々が其の者に気づくことはほぼ無いと云えます。見えない世界の働きですから。


其の必然として生まれてきた者は、現世の中での「それらしい地位や名誉や職業によって、自分の存在を現す者ではない」・・・のです。
そのようなことは人間の世界だけの認識であり、此の宇宙の活動が人間の世界に現れたことではありません。


それゆえに、人間の宗教の世界において、「聖人」とか「仏の生まれ変わり」「神の生まれ変わり」などと肯定する信者が何十億人いたとしても・・それは正しさの証明ではないといえるのです。


ただ、「イツクシマに刻まれた宇宙の要素」が、人間の世界に働きかけて・・菩薩として予め語り、佛として構造を支える・・という活動の一環であった場合にこそ、その者の、宇宙的な役割の正しさが証明されるのです。


・・・そしてそれは数多くあるものではなく、三つと一つに限定されるものです。


それ以外の 「これまで此の宇宙を既に支えてきた・・正しい(神々)過去佛」 は凡て、島に記されています。
それらが現代の国家の王や王妃あるいは敵味方の主導者に現れて、その善悪が噂されたとしても、その宇宙的な役割の真偽は島によって明白なのです。
ただし・・・・それは一般常識とは大いに異なります。







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さて、『成就しなければ佛として覚りを得ない』という物言いは、誤解を生みます。


これは人間の世界の「仏」の権威や「菩薩」の権威を増幅するための、釈迦によるインド国民に対するリップサービスに聞こえる。


それは仏教教団という組織を維持するための「人間の世界のための話し方」であり、本来は   『此の宇宙が成長する節目に、その変化の要素が、星や大陸や国家の主導者や予告する者などとして現れる。』のです。






現在、水瓶座が弥勒の働きとしてすでに存在するが、光る星はまだ誕生していないし、天の北極点も移動していない。


また、弥勒の絵をシンボル化した形の大陸は、地球にまだ現れていないし、生物の本能的性格の変化も起きていない。


その時節の地球において、人類の中に「予め、その宇宙の変化を予告する者が現れる」・・これが「菩薩」であるから、其の登場の後に・・・時節到来によって宇宙構造の変化が起こるのです。




それは此の宇宙の成長の時節の到来である。




人間が考える・・・"神や仏あるいは何者かの思惑や願い" などは、手が届かない次元の出来事です。


そのとき、人間の世界に現れていた活動は完了し、本来の宇宙が求めていた 新しい活動 が 構造の要素 として動き始める・・・・これを「佛が作佛する」というのです。





ゆえに 阿弥陀の世界に移行したのち、弥勒菩薩が誕生して「覚りを得てほとけになる」というのは、
終末の活動として 賢行 が菩薩として予告した内容 を、
阿弥陀の世界の構造の現実の世界の仕組み として確認する 
のが 「弥勒の正眞の正覚」 になります。




即ち、在家の姿で活動する賢行の仏道(菩薩行)の主な事柄は、須弥山の開示ですが、それもまた・・・釈迦在世の当時の、釈迦に阿弥陀の世界の到来を教授した・・楼 夷亘羅佛という女神の子孫が、終末の同族の中に一人の男子として変性して生まれて行う活動です。



これは「阿弥陀の世界で、女性のいざ波496が男子の羊の子117に変性して生まれる」ことと同じです。


存在を生む働きが、母性から父性に移行する前の、終末の現世における先駆けと言えます。


ただし、2018/12/26現在、地形文書の中に「父性の領域に生まれていた女性」が、阿弥陀の世界に生まれる時・・・・其のすべてが男子に生まれ変わる」 という確証は得られていない。









-------------------補足



(2024年3月現在、四国松山沖の島々と、沖縄久高島と安座真そして伊平屋島などが未来の同じ予告を島として刻印していたことがわかりました。
おそらく・・・日本列島誕生の後の界面の沈静化と同じ頃と考えられますが・・・、
「弥勒は・・toto神ひな鳥が人間の世界に生まれたものだ」・・ということを伝えていました。



下の地図絵でわかるように・・・


toto神ひな鳥は、この蛹の宇宙の根源であり、存在を生み続けてきた三女神が龍に成長しますが、その龍の口になります。
toto領域は、この宇宙構造で新しい生命がうまれるという活動が保証されるために誕生した役割の一つです。


天空の女神龍の頭部はtoto神アオサギ443、口は子のひな鳥409
ひな鳥の頭上に「祟るタゲリ鳥309」が生まれる・・・、
タゲリの登場と同時に・・・・・女神を征服支配していた父性の荒牛396は追放され、幼子ハトホルを奪ったこま犬(子馬)339の死が確定する。


すなわち、私達の宇宙のすべてを生み出している・・存在規定の三女神を、侵略征服支配するほどの最強の荒魂たちを追放したのは・・・・toto神ひな鳥の怒りだった・・・と読み取れます。


それは女神は・・・・荒魂たちは皆・・自分たちの子供であるゆえに・・・・、負の因果をくらましてまでも・・この宇宙構造を守る存在なのです。ゆえにひたすら受難を受け止めるのです。だからこそ、男は欲望を好き勝手に行使できるのです。自分が強いからではないのです。負の因果をくらましている宇宙構造だからなのです。それは純粋に新しい生命を望んだ・・この蛹の宇宙の本願なのです。)





女神は、自分たちを侵略征服支配する父性の領域の荒牛396が登場する339mline時より以前に、360mline時においてtoto神のひな鳥409を加えて「女神龍」に変身しました。


・・・興味深いのは、ひな鳥は・・・・開いた口=龍の咆哮・・・を、意味しますが、地図の右側に登場していた父性の領域に・・背を向けて咆哮する・・・のです。まるで侵略を許すかのように・・・・。
そして328mlineで父性の荒牛タケル396が侵略しますが、
後に、ひな鳥の上に誕生した祟る神「タゲリ309」に追放されます。


その追放されて行く場所・・・手足を失い行動を制限された自制心の象徴となるダルマ360
は、侵略の前に用意されるのです。
侵略を誘うかのように咆哮するのは・・・ひな鳥409
支配した荒魂を追放するのも・・・ひな鳥から生まれたタタル鳥309


・・・・そして今・・・この蛹の宇宙で最大の激変を迎えようとしている「宇宙構造の完全変態」に進む鍵となるもの・・・・それも、529−409=120m と、ひな鳥409の役割なのです。


(それ故に、沖縄では龍の子が生まれるという予告を、四国松山沖ではひな鳥が生まれるという予告を・・・"島"として造り残したのです。・・・・・どのような人たちが・・・どのような手段で・・・造島したのか・・・サンゴ礁を削って島を嵩上げしたのか・・・・興味はつきませんが・・・
でも、地形文書と同じ宇宙構造の成長による大変態がおこることを理解していた人ちびとが居たことは間違いありません。 ・・・ あちらの世界に還ったら ・・・ぜひ・・会ってみたいものです。 笑 )






地図絵「三女神とtoto神の親子」 
沖縄安座真の三体の龍は、この女神龍を表現しているのです。加えて伊平屋島のワニと具志川島のヘビですから、このひな鳥を龍の子という表現で、弥勒の誕生予告したのです。




toto神ひな鳥



















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もちろん、一般の人々に「宇宙の働きが特定の人間に現れた・・・」と話すと、奇跡や神通力などの利益がからむ話にすり替わってしまう・・・が、
『菩薩』と『佛』は、人間の自力や他力の及ぶ活動ではありません。
思惑や組織の関わる領域には無いのです。


此の生命体宇宙の第一原因の母性が、「自ら、考え、求め、疑問し、この宇宙(世界)を理解する存在に生まれたい・・」とねがったのが、此の蛹の宇宙誕生の究極の目的でした。それが人間として現れたのです。
そしてこれ以後も 成長する生命体宇宙 であるゆえに・・・・、
構造を支える新しい要素が三つ四つと未来の為に用意されていたのです。
それが釈迦196,弥勒173,水瓶の光148,羊の子117です。
その新しい構造の世界、即ち蛹化する宇宙を「あみだ」というのです。


母性の存在基底を「三女神」といい、此のたびの父性の存在基底を釈迦は「あみだ」と喩えたのです。
ただし、島から読み解くと・・・・釈迦はこの父性の存在基底のすべてを詳細には語っていません。
それは釈迦が、この蛹の宇宙の全体を支える役割ではなく、太陽系を主に支えるからです。
全体を支えるのは弥勒であり、水瓶の光です。それゆえに、釈迦は宇宙の成り立ちを語らず、構造の要素つまり本能的欲求を『無明』としたのです。
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<<<<王聞佛經道。心即歡喜開解。便棄國捐王。>>>>
この国を棄て王位をすてた曇摩迦なる者は 「釈迦」自身のことを云っていると解く。なぜなら、二十四願を語った者は釈迦であるからである。
  しかし、たんまかのマカはカマが【蛙摩】かま 愛染神。(字通に載っている。)
 これはタンマカが愛染神の子供あるいは一族の出身であることを暗示する。


 愛染は空海さんも『愛染の成仏こそが最も大切だ』と語っている。[溪嵐拾葉集](大日の秘) 
  大正新脩大蔵経第七十六巻続諸宗部  大正新脩大蔵経刊行会 大蔵出版株式会社


  愛染は即ち三女神、特に505母性の母の活動を示す。
  505の崩壊が「羽」であり、其の宇宙的な真相を知ることが、次の世界がうまれる背景のヒントになると考えられる。それはヒエログリフに「天秤の上に乗る羽と心臓」という予告的表現があり、その心臓はハトホルの息子であるが弥勒菩薩でもあり、楼佛の頭部の頭髪の形も弥勒の地図絵と共通する表現であるゆえに、これらはみな、母系の一族「梵志」また「女神龍の一族」と考えても良いと思う。


  ちなみに「龍樹」というのも「女神の龍の一族」という意味であり、その性格を「慈」と解釈しているようだ。
  釈迦が、彌勒の前世を「梵志」という一族で語ることは、女神の一族の役割の一つとして、宇宙の真理を理解することがあり、それを知るがゆえに、地上の生活に時節が到来することを予め理解して、なおかつ役割ゆえに甘受する・・・それが女神の役割、存在基底の役割、梵志の役割であり、釈迦と弥勒の母親の血統が、女神の一族の子孫であることが断言できるのである。


  だから、釈迦の時代に「楼佛という女性の佛が、真理(佛の経道)を語っていると、釈迦(曇摩迦)が耳にして出家を決意した・・」という話を、島から詳しく読み取れば・・・・・、


  楼佛は「釈迦196明日の太陽の役割を担う者が、ダルマつまりバラモン教の修道士(父方の血統)と女神の子孫(母方の血統)から生まれることを理解していた・・・」はずである。
  それが島の196の明日のライオンの存在だから。また釈迦の誕生時に亡くなった母が女神の一族のモノであることも、282イブの死201の196mline確定という情報によって、楼佛は理解していたからこそ、バラモン教のインドの街の中に「196の者が出現することを待ち望みながら布教していた・・」と考えられるのです。一般の人々の中から王位を棄てて釈迦が出家してた、また梵志一族の末裔として一人の若者が在俗の中で菩薩行を行う・・などとという偶然の話ではないのです。


  そして、
  釈迦が「彌勒の出現と覚りを予告した」のも、「母の脇腹から、釈迦と弥勒の二人ともが、まったく同じように生まれる」と語ったのも、島の山の配置に基づく情報であり、両方の母が女神の子孫でありながらも、父が共に父性のダルマ(359釈迦の背景、360弥勒の背景)(ダルマは自制心の塊のような存在)であるゆえに、釈迦が・・・弥勒の家族や覚りの過程などをまるで一族の一人のように詳しく語ったのである。


  しかし、もっと興味深い釈迦の言葉がある・・・。
  弥勒菩薩所問本願経 で、釈迦は子のように語った・・・。
  


"次復有佛。名樓夷亘羅。"この夷亘羅佛が釈迦に「この世の道理を教授した」と読める。つまり、構造が必然的に終わること、つまり、父性の荒魂の活動の終了と母性の子産みの本能の終了などという宇宙構造の変容の必然的にやってくることを、宇宙の成長の道理として聴いた故に、この阿弥陀経の未来予測の話が出来た・・と考えられる。
結末が解かるから二十四願を願ったのであり、無知のままでは荒魂の役割の者は、ただ生まれなくなる未来であるから、大慈悲心を起こして、其の処方箋としての、縁起の法を発見したと考えられる。釈迦が発心した背景として、359と325そして27が196を生むという秘数の働きがある。つまり396,325は父性の自制心と狛犬の荒魂であり、その解決のために釈迦として196座る人が此の世界に登場したといえる。
釈迦は弥勒経の中で、「弥勒が先に現れたから、私は激しい修行をして悟りを得た」と語っている。また「弥勒は今のこの世では覚りを得る事はない、宇宙が変わることが本願だから、変わった後に生まれてきて悟りを得る」とも語る。
また「弥勒菩薩の経竟は、弁才に優れている」とアナンが語る一文がある。
これは弁才=女神の島=楼 夷亘羅の出身地 (夷は外国、亘は永久に、羅は受難の役割の女神、楼は長い美しい黒髪を頭上に巻き付けた女性の髪型=島の彌勒図の頭部の形と同じ)と、弥勒菩薩の深い関係を、母系の血統を暗示させることで語っている。
これに関連して、
島の情報に、生まれ変わりの興味深い例を、秘数が明らかにしている。
すなわち、
天使界のいざ波496はこれまで常に黄泉の国226に下ってきたが、阿弥陀の世界では子羊の男の子117として復活する。
  即ち女性が構造変換によって男性に生まれ変わる・・・という例である。
此の例を、阿弥陀の世界のすべての誕生にあてはめるべきか?
あるいは、母のいざ波が男の子に生まれ変わって、N点の存在基底である阿弥陀の、対極のS点としての羊の子という一例だけの情報と見るか?


「特別な存在としての羊の子だけが、性を変換して 誕生する」のか? 
「一般の 人類も動物も微生物も みな・・♀が♂に変性して 誕生する という意味なのか?」


釈迦は二十四願の中で、
"婦女子はすべて阿弥陀の世界に生まれるときは、男子に生まれてくる"  ・・と大阿弥陀経の中で語るが、島の情報は、女性が子を産まなくなる(505+1=506√→226黄泉の国)とは記すが、男子に生まれるとは明確に記していない。


ここで島の情報を精査してみると、


505母が506に働きを元返りして、226黄泉の国に下るのは、226の活動の時点であり、506から226までの280の働きを為したのちに下るのである。506がすぐに226に下るのではない。
  この226の時点とは、太陽系地球の世界と上位四界の宇宙領域が結ばれる橋の時であり、即ち、母体から赤子が出産するとき・・・・子宮の羊水の世界から、此の外界の生物界に誕生するとき・・・です。
  宇宙=母体の子宮内、此の現実世界=誕生後の世界・・・というように、イツクシマは、認識を逆転した情報でありつつ、私たちが認識する外宇宙と地球、また自分の精神の内部と外界・・に、当てはめて解読する事も出来る。


  ですから、「存在基底の母性から父性への移行を、♀は♂に変性して生まれること」・・・・と解く場合、「此の蛹の宇宙のすべての存在に、そのことが当てはまる」必要がある。
  特例や、人類だけ・・・などという解読は、そのように島に記述してないのだから、まちがいである。
  大地も天候も星も生物等々の すべてが・・父性の存在基底によって誕生する。


  ただし・・・・・父性と言っても、これまでと異なるのである。


  これまでと大きく違うのは、釈迦と弥勒と水がめの光の存在基底の性格は、これまでの "荒々しく支配的で♂のシンボルを猛々しくそそり立てることを誇る父性" とは全く異なります。


  その荒々しい生殖本能が生みだす・・・四苦八苦・・・負の因果の連鎖・・を昇華・・解消する構造を支えるのが、
  釈迦であり彌勒であり水瓶の光なのです。
  解消する構造とは、荒魂が生まれない構造です。
  
  即ち、地上の女性の象徴として記されたイブ282の腰283は、阿弥陀の世界では283+1=284√→396荒牛を生まなくなる。・・・これまでは、《283√→416→396と、最強の精子を選択し生んでいた》のです。ゆえに弱肉強食という現実の特徴が、よく見えていたのです。


  イブの腹283と白い母181の地上の女性の腹の象徴の両方ともに、荒魂396を産まなくなることは秘数が示すけれども、
  イブ=女性が生まれなくなると読み取れる情報は、2016年7月までには発見していない。


  確かに過去佛 即ち これまでの構造の要素は、すべて 本来の出現以前の活動に戻る。(秘数+1√)
そして父性の三つが基底になる。しかしこの"父性の領域" は、男子だけを示すのではない。父性の中に男女が存在する。
  この領域の最初はいざ波496(父性から生まれた)女性の母である。それは子宮の内空間になる。此の子宮も始まりは男女両方の子宮である。後にこま犬が出現して♂の子宮と丹田となりますが・・。
  
  だから、父性の存在基底になるからといって、「阿弥陀の世界に生まれる婦女子は男に生まれる・・」と、釈迦(曇摩迦)に楼佛が教授した根拠がイツクシマに見出せないでいる。
  
  


  (2018/12/26日、既にお話ししたように、次の存在基底の中心の光となる「水瓶座の光148 北極点になる光星」は、今の宇宙の始まりである「529完全なる母性の変性」であること。
  また今の父性の祖の母496イザナミは黄泉226に下る役目を果たしてきたが、阿弥陀の世界では「羊の子117南極点になる男の子」に生まれ変わる。


  即ち、完全なる母性23×23の父性への変性と、父性の女性496の男の子への変性という二つの領域の変性が起こるのです。


  大阿弥陀経で語る「婦女子は男子に生まれ変わる」と云う話は、496が117に生まれ変わるという記事を基にしていると考えられます。)





   母性の存在基底から父性が生まれ、男女、♂♀の活動によって新しい命が生まれる構造がこれまでの構造であった。
  
  そして次の阿弥陀の宇宙構造は、父性が存在基底になる。楼佛が釈迦に教授した "経竟" は厳島と同じ情報に基づいていることは、二十四願を読めば解る。


  しかし、なぜ、楼佛は、阿弥陀の世界に生まれる女性は 「皆」 新しい男として生まれる と教授したのか????


  釈迦は・・・『もっと詳しく・・・、須弥山(イツクシマ)を調べたい』と、弥勒菩薩所問本願経の中で語っていたのだが・・・。







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2018年と それまでの解読の世界でした