地形文書 sanagi-map

地形を用いて記録された・・蛹の宇宙の過去現在未来・・・地形文書sanagi-map

地形文書以前の世界へ 08/17加筆

この二十年余りの、この島の、記録の発見と解読の世界は、一つの蛹の生態を備えた小さな生命体宇宙・・・・を発見することだった。



其の概略が解けたとき、『この蛹は・・何処に生まれて・・何のために生まれて・・死んで後どうするのか・・、



また、母体とも言うべき蛹を生んだ宇宙が、因果直結であり、時間空間ともに無限だと言うことも解った・・、



その無限は、有限なる蛹の宇宙の結晶ともいうべき・・有限な命の人間には認識が難しい・・認識しようとすると心が潰れてしまいそうになる・・とも解った、


しかし、その無限の活動は、数値で表現されうるものであり・・無限を構成する「個々に活動する働きを持つ空」・・すなわち、無限に存在すると認識できる数値の中に、其の働きを発見することができた。



それはすでに二十年前から気づいていたのだが、


「標高値が命を生む象徴の数として設定されていて、その個々が、無限に縮小する三種のグループの回転に分けられる・・・すなわち、この生命体宇宙の活動は、三種の数の無限縮小回転によって支えられている」


ということを改めて理解したことだった。


そしてまた、toto神の領域によって、負の因果を晦まし延期する働きによって、この蛹の宇宙は消滅を免れている・・・ということも解けている。


それは逆こそ、元の世界の真相を明かすこと。



すなわち、蛹が生まれた元の母体は、因果直結であり、時間空間ともに無限だとわかる。









(これから仕事だから、今日は、時間がない。


この続きは、元の宇宙に、生命樹が存在し、ソレに無数の蛹がぶら下がり、今同時に完全変態しようとしている・・・其のことについて。


それは私達の宇宙が、孤独ではなく・・・生命体が溢れていると・・・想像できるのだが・・
あくまでも私独りの世界観だと断っておきたい・・・。)         2022/08/10早朝



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《すなわち、蛹が生まれた元の母体は、因果直結であり、時間空間ともに無限だとわかる。》


これは、toto神の領域によって、負の因果を晦まし延期する働きによって、この蛹の宇宙は消滅を免れている・・・


これは、因果直結の世界に生命体が維持されるためのtoto領域の誕生であり、光を生んだ母505が、529第一原因を介して、同心円で転位して、腹の崩壊を止める一因となった・・・と地形の配置が明かした事はすでに幾度も述べた。


私達は、【負の因果が晦まされる世界に生きている】のであり、これが弱肉強食になり、オスメスによる子作りになり、優性遺伝になり、支配欲を生み、自分と仲間が生き残るために・・"他"を・・侵略・征服・略奪・同化・絶滅・差別する世界を許容してきたのだ。


これは現代とか中世とか、原始時代とか人類の世界・・などという次元の話ではない。
此の蛹の宇宙の構造を護るためであり、最大の特徴だったのです。


では、これを心のなかで受け入れるべきか??


・・・・そう、今のロシアや中国共産党や北朝鮮やイラン・・これらが「悪」という視点ではなく、宇宙構造の現れだと見えるとき・・・・【今、此の蛹の宇宙は、今の太陽の軌道が確定したときから・・・・蛹化という完全変態の時節・・・・に突入し始めている】という流れの中の、最後の展開に・・近い・・とワタシには見える。


近いとは、まだ、人種的な民族的な別な支配欲が、本当の姿を晒していない・・という意味。今の荒れが収まれば、やがて、今こそ地球上の本当の支配者になれる・・と、潜在意識の優越感や支配欲また闘争本能が、日本列島を奪いたいと・・蠢くのだ。もちろんすでに・・此の1300年あまり、構造上の必然として、狛犬の鳳161と其の眷属が、天の北極点の役割として日本列島を支えてきたのだけど、それももうじき、水瓶座の光星に交代するのです。其の直前の、宇宙構造の 荒れのもがきの中に・・私達人類は存在しているのです。動物も人間も・・2001/09/以来・・自制心を放棄しつつあることをお話したが、最近、とみに激しく感じる。


ともあれ、


だから、構造上の必然として起こっている・・という冷徹な、あるいは地球をまるまる掌の上で見る・・という、少なくとも人間の視点を離れた視点が、地形文書の特徴なのです。



・・ただし、これは善悪の観点を無視しているのだから、『仏や如来や神々のように見るのか、人間として無責任ではないか??』と考えたくなるが、


しかし、【此の地形文書は蛹の宇宙を掌の上で慈しんでいる・・完全なる母性の願いの記録】だから、


地上にへばりついて、肉体に振り回されている人間のモノの見方を放棄した視点を得ない限り、蛹の宇宙の真相は理解できないのも確かだ。








さて、いつも脱線するけども・・・話を戻そう・・。






・・・すなわち、私達の地球の世界は、蛹の生命体のすべてを映す鏡のような存在であり、種のような存在だから、


・・・島の三女神の山とハトホルの山が表す山の際の形が示すように・・・蛹の宇宙の願い(本願)は、人間として生まれて、この蛹の真相を理解し・・なおかつ、その母体をも理解すること・・・・・だとワタシは受け止めた。


少なくとも、弱肉強食の構造は、永遠不滅不動の構造ではなく、蛹の幼虫として成長する時期の構造の特徴が現れたものだと、地形文書が明らかにした。



これこそ、ワタシが十五歳の頃から・・どうしても知りたかった答えであり、これを知るために三十年余り費やしたことになる・・・(笑)







もし、この弱肉強食が・・戦いや支配やずるさや嘘や傲慢や差別や区別や優劣などが跳梁跋扈する現実の世界が、永遠不滅な宇宙の構造としてあるのならば・・・・ふざけるんじゃない!!!!! こんな世界に誰が・・二度と 生まれるものか!!! ・・・などと、激しく思っていた記憶がある。もちろん・・現実に押しつぶされそうになりながらの、独りよがりだったのだけど。


だから、蛹の幼虫が蛹化する成長の段階として、すべての宇宙活動が静まり・・・つまり生物の煩悩も例外なく静まり、この世界は・・・本当の悉皆成仏となることが解ったとき、躍り上がって喜んだのだ。構えて生きる必要はなくなる・・・強がりを言う必要はなくなる・・・わけも分からず欲求に振り回されてアクを行うことがなくなる・・・


浄土に関して、女神ハトホルの子のイヒ・・弥勒菩薩・・梵志賢行・・普賢菩薩・・様々な呼称で 活動する者を呼んでいるけれども、其の全ては一つの必然なる呼称に集約されるのです。


   さて、出勤しよう。          2022/08/12 金(08/13修正加筆)



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「浄土に関して、女神ハトホルの子のイヒ・・弥勒菩薩・・梵志賢行・・普賢菩薩・・様々な呼称で 活動する者を呼んでいる」・・・というのは、すべて 弥勒という一人の話・・。



(右クリック→ 画像を新規タブで開く→ 拡大画像)




厳島の地形は、上の地図のように、全て宇宙構造の記録であり、わたしの話は、此の地形を解読した・・独りよがりの宇宙観・・と言える。これを保証する権威は、地上人類の中には・・・皆無 なのだから。










さて


浄土のために、宇宙の構造上で、眞の予告をする者は、釈迦と弥勒の二人だけなのです。


この二人だけが、宇宙を巻き込んでの菩薩の役割をするのです。


これ以外の何者であっても・・・それは人間世界の中で勝手に作り出したもの・・・地形文書は其のようにはっきりと記録している。





このことは、浄土と呼ぶ次の宇宙構造の存在基底(存在を生む根源の働き)が、活動を始めるときの姿が 阿弥陀と呼ぶ存在だけれども、その思考を釈迦が、その心を弥勒が、其の光は水瓶の光星が担うことになっている。


だからこそ、釈迦と弥勒の、浄土に関する予告は、、、眞正、、、なのです。宇宙の変革の必然なる話なのです。・・・・・自分のことだから・・・・。







釈迦は太陽系の太陽を支えるべく 光の子の因縁と母の死の因縁を受けて 誕生した。


それは地形文書の、光487と其の母の死472を結んだ地形のラインが、釈迦の山の山頂点196と、±2m以内で結ばれる・・という配置に表現されている。また釈迦の母の死201の山も196mlineで確定する・・・と記録される。


すなわち、釈迦の存在は 宇宙的必然性の上に誕生しており、だからこそ、其の母は厳島の三女神の子孫の一人・・・とわかるのです。







また、島の女神の子孫の 楼佛という女性は、
若かりし出家前の釈迦に、此の世界の真相(経道)を教えて、
かつ、未来は浄土と呼ばれる世界に必ず移行する・・・と、
阿弥陀の話を教授したのです。(大阿弥陀経)


(この楼 夷亘羅佛という女性は、奈良興福寺の「かるら」という鳥の仮面をかぶった神像として表現されている)此の鳥は光を生んだ母505です。


ちなみにおまけですが、
此の蛹の宇宙の第一原因529の女神像は、、、、東京国博法隆寺館の一階の仏像の中にあります。
貴重です・・・。蛹を掌で愛おしむように包んだ女神像です。これこそ、私達の宇宙が始まった第一原因の本願たる母性の人物表現なのです。







・・・解説ではいろいろ語りますが、近くに展示されている二態の梵志賢行像 と一緒に、女神の一族 が祀っていたものです。







なぜなら、此の地形文書の真相を理解しているからこそ、
これらの神像を作れるし、
また本当に 浄土の到来を招くための眞の一族 として祀る・・・事ができるのです。


ソレが人生のすべてをかけて できるのは、其の一族以外にいないのです。


人間の世界が決めることではなく・・・宇宙の始まりからの軌跡が 女神の血統の中に継承されてきたからです。
そして・・・其のことは本人の自覚以外に明らかになることではなく、
其の神妙なる活動を持ってのみ、証明されるのです。


ただし・・・其の神妙というのは、巷で売り物にしている不思議な事・・などではありません。
其の活動は 必ず未来に顕現する出来事を、宇宙に代わって人間の世界に伝える・・ことです。それを眞の菩薩というのです。 


そして浄土に移行した後は、菩薩の役目を終えて、新しい宇宙構造の要素として、語ったように活動するのです。それを眞の佛というのです。








(ところで、
巷の仏教界で言う「菩薩や仏」という概念は、700年前後のころ、朝廷が僧を作り、中国へ送って男中心の禅宗を持ち帰らせて 男中心の世界を始めたときから概念が変わったようです。
そのころから、仏教の中心は男の世界になるのです。そして仏も菩薩も修行すれば獲得できる名誉職の如きものに、書き換えられたのです。
もちろん、ソレも・・狛犬(子馬)から生まれた161大鳥が、天の北極点の役割を担う・・という宇宙構造の動きの現れですから・・善悪ではありません。












すなわち、女神の子孫を 正月の拝賀の礼として祀っていた(古代エジプト文明の、女神ハトホルの正月の行事が始まり・・・)その行事を、家長と長男のみを正月の礼の対象にすべし・・・という、(天皇の命令の)宣命体で特別な地方を規制したのです。
其の地方とは、今の四国伊予西条市・・昔の新居郡・・其の昔の神野郡・・・朝倉や神戸など・・今は母系の子孫は其の地では全滅した・・といえるほど・・変わり果てた田舎の村になっています・・・そこに住んでいた人々は、歴史から消える前の厳島に住んでいた人々が多くいたのです。)











余談


(善悪では無いのですが・・・・あぁ 夢の話を


数ヶ月前に 其のあたりの、夕暮れの村の外の林に 横たわる・・あるき始めて間もない わたしの娘・・。


村から一歩でも外へ出れば、必ず死が待ち受けるという現実を 観念して受け入れて生きている其の村・・・






涙も出ない夕方の夢・・林に横たわる娘の安らかな死顔を認めて・・・すぐ諦めて リヤカーを突いて帰り始めると、


真っ白い猫がリヤカーの真ん中にひょこんっと・・そう、幼子がいつもリヤカーの真ん中に座って楽しそうにしていたそのままに・・・・・


そして家に帰り着くと、囲炉裏の前で・・・幼い娘がいつもしていたように・・・わたしに向かって可愛く首をかしげて・・『なあに・・?』というように・・・、其の可愛い白い猫がわたしを見つめて首をかしげる・・・・


その時、ワタシは夢の中で一瞬で解ったのです。


娘は、自分を探しに来た父の姿を見て、近寄ろうとしても 動かない冷たい体・・・だから、父のところに帰りたい一心で・・・冷たくなった体を捨てて・・近くにいた白い猫の体を奪って・・いつものリヤカーに・・ちょこんと乗ってきたのだ・・と・・・・
そして数日後には 必ず あの世に行ってしまう・・・・なんと短い人生なのか・・・儚い人生を受け取るために・・わたしの娘として生まれてきたのか・・・此の現実は 此の煩悩に汚れた現実は・・・夢なのに 胸が張り裂けそうに・・・・


ワタシは二・三年先の正夢を時々見る、何の変哲もない情景に何かをしているワタシを空から見ている夢・・でも まだ一つ 現実に其の夢の場景に出会っていないのが一つあるけど・・今の職場の正月の待機する会話と場面を 前の職場のときに見た、一年ほど前に・・夢の、まだ知らぬ会話の相手は、今の職場の同僚・・。ものすごく明瞭な正夢を見る。
だから・・・幼子の夢が、数百年前の記憶の中から蘇ったのかと・・わからないのだけど。
だけど、そこに文化文政の初期に生まれたことは墓碑からわかっているけど、其のときは童子の碑銘だから父になってはいないのだけど・・・。


あぁ、今、夢から 数ヶ月経つというのに、其の夢を思い出すと、哀れで 悲しくて キーを打つ両腕の間に 大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる・・・ただの夢なのに・・と思っても。
あまりにもリアルで まるで映画を見ているかのような・・・伊予神戸の大地がわたしに過去を思い出させたのか・・?と思ってしまう。


・・世間も知らない幼子が何も知らずに・・・、村の外を囲う・・命令を一途に守る粗野な監視の者に 命を奪われる・・・


籠の鳥の非情な現実・・


それを、此のような夢で知らされるなんて・・


そう、其の村は 今は消えた大昔のわたしの先祖の村・・
夕方には、誰一人・・家から出ない村・・・
あまりにもはっきりと・・あまりにも哀れで・・・
権力を維持するために 幼く抵抗できない特別な子の命を奪うなどということは・・・、
洋の東西を問わず・・・・決して消しされる行動ではない・・
粗野な当人が忘れても・・其の命を発したものも 手助けしたものも・・其の魂たちは 何千年・・何万年・・何百万年過ぎようとも・・


因果直結の世界に進む・・浄土の非情な世界へ・・元の宇宙に同化するために・・蝶として元の無限な宇宙に飛翔するために・・


蛹化するときは・・非情だ。隠してきた負の因果は還ってくる・・なんと 非情な そして公正な・・完全なる母性の願いは、蛹の宇宙の成長・・・


蛹化して 蝶になる・・・その生態は 此の宇宙が映っているのです。


だから、蛹は一杯・・同時に変態しようとしてと 考えるのです。


其の中で、私達の蛹の世界は・・此の地球の世界は・・どうなんだろうか・・・???と。








あぁ  ソレも宇宙の必然・・・


弱肉強食の現実は、もうじき終わる・・・・本当に 終わるのです。


因果直結の世界へ還るのです。自制心がほどけた生活に変わるのです。


アクはこれまでのように保護されないのです。


イブと白い母の腹の卵巣は 最強の精子たる荒魂を受け付けなくなるのです。 


そしてヤマトタケルに代表される荒魂の魂は、此の蛹の宇宙の外に還るのです。また角を抜かれ・・黄泉に下り・・おとなしいタダのおっさんに変わるのです。


もし浄土に生まれてくるとしたらですが・・。あぁ 南無阿弥陀仏・・なるように 其のように・・・)


なんだか、変な話になってしまった。今日は暑かったから・・かも。 
                            2022/08/12/21:10
          


 08/13/08:30 加筆した さあ出勤しよう・・本当に 糞暑いけど・・



ここに 古代の 痕跡が・・       ほとんど消えていた・・が、山だけは残っている。地形文書で解けるシンボルの山々が あふれるほど 存在している。
船から認めるシンボルの山々・・・見える人はいるのだろうか・・??










------------2022/08/17







529の象徴は「半円形」船から見る三女神の額の形、前頭葉が極端に発達した形状を示す。
古い神社の御神木のマキ科のナギという木は、ロイヤルブルーの色が王族の色だという根拠の始まりであり、植物学では最初から記録されているという。ナギの木の種子の球形であることと、島の蛹の形のなぎ、また505山の崩落面のナギ、また古語のさなぎだに、万葉集の島の歌・・など、みな厳島の地形文書の存在に関連しているのです。




前方後円墳について(本来、円墳が光の発生するEの方向であり、ライオンの頭部になり、またオスの生殖のシンボルをも表現するのですから、前円後方と呼ぶことが正しいのです・・が、おそらく・・オスのシンボルを連想させては畏れ多いからと、前方と呼ぶことを権力でゴリ押ししたと考えられます。




エジプトのスフインクスはこれと同じ表現であり、529の半円形を頭部にして、505の台形を背中と腰にして、後方から見ると光487の三角の形を表すという「三女神のシンボル形の合体」になっている。其の腰はナギ(の崩落面505の羽)を表現する岩盤や岩が必ず表現の中に加えられているものが正しい表現です。)




全国に見られる此の墳は、「光の子の誕生の象徴」つまり「太陽の子の誕生」を表現しています。


すなわち、日本全国の未発見も含めた・・此の形の山は、
「宇宙に出現した光487(アマテラス女神)が、岩戸から再び復活して(487√→456)太陽456として生まれたことを、人間界に置き換えて・・・、


其の国において、『島の女神の子孫の母・・が生んだ子だから、正統な光の子の誕生だ』と内外に血統の正しさを主張する地形表現なのです。




それから考えられることは、古代エジプトのヒエログリフが地形文書から作られ、甲骨文字も地形文書から作られ、日本の神代神話も地形文書の筋書きに元が辿れること・・・などから、
前方後円墳を造っている地方(古代の国)は、
島の女神の子孫(釈迦の母なども含めた女王国の女性という意味)を妃に迎えて光の子を生んだ正統な国だ・・と主張した・・・と受け取れます。万葉集で、天智天皇が其のために戦うのだと歌った歌もあります。





それらの山は、古代エジプトでは「昨日の獅子と明日の獅子」という、向かい合う二頭のライオンとして表現していますが、地形文書では「262/234/228の過去の太陽のシンボルの山」と「196/185/169の未来の太陽のシンボルの山」として記録されています。また他に、396の荒牛・ヤマトタケルの山も、近い造形を見せますが、少し異なります。











ただ、前方後円墳の築造が最初ではない・・と考えられる山々があります。これらはかなり古く・・考察するに興味深いものです。




これは釈迦の明日の獅子です。未来の太陽の軌道を記録しています。ヒエログリフにも予告として登場します。









過去の太陽は、「欧州大陸」として現れており、地図絵は「矢を射るヒルコ」(ヒエログリフのHef神)であり、宗教としては「キリスト教の父の神」です。


すなわち、その性格は「荒牛の母性を侵略する性格の精巣396」とともに「子を生むための生殖本能のシンボル」であり、それが過去の太陽を支えていた(軌道の記録)のであり、(人類のアダムが、小型恐竜の母性の腰が進化したときに、変異して生まれたときが272mlineだが)
この過去の太陽は262/234//262/228と二度の変転の後に軌道を確定している。
ソレがそのまま、アダムの生殖シンボルが備わる記録であり、
また欧州大陸が登場する記録ともなっている。







そして、現在はこの昨日の獅子は、生殖のシンボルだけの働きをしており、狛犬339の活動(オスの子宮・女神の幼子を奪う役割)と連動していることが、山の山頂点を90°で結ぶ配置によって示していると考えます。









ちなみに現在の太陽の軌道は、


女神ハトホルの頭部(鶏頭山)にあり、其のE-Wの山は「冥界のアヌビスの形の山241--137」です。
すなわち、私達のこの世界は・・・・地形文書の視点では、「有限な物質と肉体の世界・・冥界である」とみなしているのです。





今朝はここまで  2022/08/17   07:02
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さて、日本の前方後円墳は、「女神の子孫が光の子を生んだ象徴として造ったもの」ですが、それには過去と未来の象徴があり、また荒牛のシンボル形も近い形であること。そして現在のアヌビスも上の写真のような形であり、インドのナグプールのマンセルの遺跡の山の元でもあるから、一概にスフインクスだ・・・とは言えないのです。


ともあれ、その詳細な分別は別な機会にして・・・、


日本の前方墳と古代エジプトのスフインクスが同じ表現であり、それが厳島の地形文書では、単純幾何学形で表現されている。ライオンというのはエジプトにおける喩えであり、墳という見方も日本における学者の喩えであり、本来は・・・三女神の山のシンボル形が合体して、太陽の軌道を象徴するもの・・であり、それは♂の生殖のシンボル表現でもあるのです。それは新しい生命を生み出す機能の1つであり、生殖を清濁の観念で見ると読み間違う。


そして、


これ以前にも、シンボル形の山は存在する。


上に掲載した小豆島の山もそうだけれども、


インドに超古代の・・デカンの36山という岩山群が存在する。それらはナグプール近郊の一部しか見ていないが、見たものはすべて・・島のシンボル形を表現していた。それも、そこに使われていた巨石は、島の安山岩(詳しく言うと高マグ安山岩と言うらしい)と全く瓜二つの岩肌と人工的造形の痕跡が見られる。
此のデカンの岩山は、弥勒に関係するインド西部にも関わるらしいが、のちの古代エジプト文明のデカン36暦に伝えられたようです。



そもそも、厳島の地形文書は約33300年前に人工的に造形された・・・と解読できているから、
これが、西に進んで古代インドのデカンに伝わり・・、
また西に進んでアフリカの古代エジプトのデカンとして伝わり・・、


其のヒエログリフは「未来の浄土到来についての、二頭の獅子やアヌビスやアオサギやひな鳥また蛇や狐や射手などの役割について予告として記したものが主である」のです。


そして今、インドの仏教を通じて・・古代エジプトの女神の子孫の女性が日本に還ってきて・・女神ハトホルの「新しい世界を迎えた喜びの儀式としての拝賀の礼(祀り)」を伝えていたのです。


しかし奈良に推古朝が起こされたとき、此の島は亡きものにして・・住んでいた人々は、四国伊予の神野郡に移されたのです。


しかし・・・今はもう・・釈迦に経竟を教授した・・其の肝心の女神の子孫の一族は絶えて、同族の父系の人々がかろうじて残っているようです。


・・・・ただ、枯れ木に花が咲くことを・・歌っていた古代の人々もいました。





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