地形文書 sanagi-map

地形を用いて記録された・・蛹の宇宙の過去現在未来・・・地形文書sanagi-map

弥勒について

約5000年前に、古代エジプト文明の初期の頃から、「女神ハトホルが現れる時は、この世界が終わる時」・・と、伝わっていたという。


ハトホルは一人の男の子イヒを生む。・・イヒは、「新らしい世界の到来を祝う踊りに使う女神の楽器シストリム」 を鳴らす唯一の男性神・・と伝わる。


其の音は、今の世界が終わる音・・そして新しい楽土がやってくる・・・



ハトホルの子は、女神の代わりに楽土を招く・・・






----------厳島の地形文書は、上記の予告をこのような地理的情報で記録しています。


古代エジプト文明の発生場所は、アフリカ大陸の北側=島の241m山の山頂(鳥の地図絵)、


この場所は、釈迦の予告では「鶏頭山」(弥勒が生まれる都)に当たる。


またこの山は、真北の海上から見ると「座るアヌビス(現実の世界の守護神の犬)」です。


そしてこの山の2つの山頂点は、現在の太陽の軌道を記しています。(国土地理院1:2500/<2m等高線内の山頂点により確認)











休息
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補足
(ちなみに、過去の太陽の軌道は「古代エジプト文明の昨日の獅子を表現した山262m/234m/228mの山頂点が記録」し、未来の軌道は同じく「明日の獅子196m/185m/169mの山頂点が記録」しています。
つまり、現在の太陽の世界は・・・・「241m/137mを結ぶライン」と「座るアヌビスを表現する単純な幾何学的な形の山」で表現されているのです。


 私達は・・・・今の宇宙と地球と大陸と人間の世界に生きています。
これこそが現実ですが、地形文書は「この蛹の宇宙は存在が誕生する秘数529の目覚めに始まって、光が487に生まれ、太陽が456の生まれ、地球の最初の男性アダムが272にうまれ、イブが266に生まれ、そして過去の太陽が262/234/228で登場したときアダムが父の機能を獲得し、その前後に今の太陽の軌道のE点が出現し、今の天の北極点の161が140mlineで登場した直後の137で今の太陽のW点が出現し、128mlineで今の軌道が確定した・・・・


そのとき・・・・・今の現実のこの人間の世界が・・・今の天の北極点を中心に動く蛹の宇宙の「胤」として活動を始めたのです。


それは・・・この蛹の宇宙が「人間として、人として生まれて、この世界を理解し、この世界を楽しみ、生死を楽しみ、命を産みはぐくみ、新しい命のために愛する伴侶を求め、・・・・・・この世界の存在のすべてが・・・・・蛹の宇宙の第一原因の「イツキシマ姫529」の静かな願いの目覚め・・・・に始まっているのです。
 光は、529♀♀ /505♀♂ /496♂♀ /490♂♂ の次の 487♀♂ です。
始まりは・・・・これまで無限に繰り返してきた・・と宇宙構造の特徴から考えられる「蝶が産卵した卵の一つ」から、自ら考え行動する人として誕生したいという願いが・・・完全なる母性529=23✕23として・・静かに目覚めたのです。それは・・この場所に・・この槙の木の宇宙空間に繭の中で蝶に羽化して・・・他の生命体宇宙から蜜を採取し・・・そしてこの場所に戻ってきて・・産卵した宇宙卵・・・その一つから、私達の蛹の宇宙が目覚めたのです。地形文書はこのことを記すために日本の瀬戸内海に造られたのです。そしてこの記録を元に古代エジプト文明やヒエログリフ・甲骨文字また四国や瀬戸内のシンボルの山々が造られているのです。


・・・・・・・きっと常識を飛び越えていますから、信じがたいでしょう。


でも、肝心なことは、私達の宇宙はもうじき・・・完全変態に入り・・蛹化して羽化し・・蝶に変態して・・・蜜を採取するためろに浮遊し・・・・またここに・・産卵するのです。これまで繰り返してきたように・・・新しい生命が生まれる世界を生むために・・・・・・・・繰り返してきたのです・・・心臓の鼓動のように・・・生命誕生への活動が、無限の元の宇宙の中に、蛹の生命体宇宙を繰り返し生んできたのです。
地形文書は、この島を蛹の形に造っています。そして山や川、谷や巨石などで文書のように宇宙構造を記録しているのです。



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さて。。。。。話を戻しますが・・・・



そして
約2500年前に、古代インドに釈迦が登場し、「海の水をすべて汲み上げるほど遠い未来に、一般人の中に、真理を求める一人の男の子が現れる。彼は特別な一族の・・、時代を超えた因縁を受けて正しく真理を覚る。ただし佛にならずにこの世を去る。その時、この世界が終わり、全てが静まった浄土がやってくる。・・・彼は浄土に生まれ、弥勒菩薩と呼ばれる。それは、女神に引導を渡したもの・・と言う意味である」と予告された。
此の釈迦の予告は、楼 夷亘羅佛という女神の子孫が釈迦に教授した話です。



これを違う・・と強く反発した者は、男性優位の5000年の偏った世界観に脳が侵食サれていることに気づいていないのです。ともあれ・・気づいている人は本当に幸いだと思います。「眞」に気づくチャンスが大いにあるからです。







釈迦は・・遠い未来に登場する弥勒に関して、・・・意味深な・・不可解な・・予告を残していた。


『私(釈迦)は、母の脇から生まれたが、弥勒も私と同じく・・母の脇から生まれる』と。


これは弥勒菩薩所問本願経(SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版 (SAT 2012))
に登場する一文の、


【 如來之身不可思議。巍巍如是光色妙好威神照曜。吉祥之徳以爲莊飾。・・・】


これは「如来の山」・・つまり巍巍しは、三女神の山際のライン・・・を表現しているけど、
その先に女神ハトホルの山があり、其の脇に釈迦と弥勒の山があるのです。











釈迦は、島の対岸の大野のあたりから・・「母ハトホルの山の脇に、二人を記録した山がある」と楼 夷亘羅佛に教わったはずです。そして・・此の話の真相が明らかになるのは、地形文書が世の中に登場したときなのです。釈迦は・・・それを知っていて、なぞなぞを残したのです。


最も、釈迦と弥勒の記録の山は、父性の領域の・・待機していた・・新しい領域にありますが、釈迦の母の山は、地上世界(太陽系の記録の領域)のイブの最初の死・・として記録されています。釈迦196の出現と同時の196mlineに、最初の死を迎えるイブの鳥の目201mの山・・として記録されています。釈迦の母は・・・天上の女神の魂が、イブの子孫の一つの血統に継承されますが、其の子孫の女性の一人ということになります。


弥勒の母は、弥勒経の一つでは「越という一族」と紹介されますが、地球上には、あふれるほどの越の名がついた家系がありますが、其の中の一筋の家系が・・・古代においても・・現代においても・・世間の表に出ることなく・・・ただ其の役割を果たすためにだけ、宇宙的な因縁に導かれて生死を繰り返すのです。


世間の表に出ることなく・・というのは、・・・・山奥の貧農の家に生まれた女性が、苦難の一生を送ることになる嫁の立場にありながら、一人の男の子を産みます。「自分の腹を痛めた其の子が未来の弥勒になる子だ」・・などとは、恐れ多くて・・想像だにできない信心深い女性ですが、自分が女神の子孫だということを気づくことすら無いのです。ひたすら苦しみの人生を送りますが、男の子が望む・・変わった真摯な生き方の邪魔など決してしないのです。それが母親として深い悲しみや失望感であったとしても・・その人間的な悲しみは・・心の奥底に隠したまま・・この世を去るのです。
女神の子孫は・・怒りたくても怒れない・・悲しくても叫べない・・ただひたすら・・受け止めるのです。それが女神の女神たる由縁なのです。


だから、人間の世界で、余人にうかがいしれない苦しみ悲しみをいだきながら・・・自分が何をしているのかも理解しないまま・・・大変な・・宇宙の成長に関わる・・唯一の役割を果たすのです。


・・・・これがドラマや映画ならば、人間の幸せや煩悩の悦楽を感じさせる側面が見つけられるのでしょうが、現実の女神の子孫は・・・生死や個人の願望など投げ捨てて・・因縁の役割を果たしていくしかないのです。たとえ・・人間として・・別な立派な・・幸せな道を選びたい・・・と倒れたくなるほど願っても・・・宇宙の因縁を背負って生まれた限りは・・・自分のことなど何もできないのです。何千何万という一族の先祖の魂が・・必然として進むべき道に導くのです。自分で判断したと思っていても・・女神の子孫に其のような遊びは無いのです。がんじがらめなのです。だから・・・もう・・何でも・・天に任せる以外に無いのです。釈迦の母も弥勒の母も・・・。其のためだけに生まれてきたのですから。


そして浄土に移行した後も、また同じ両親から生まれてくる弥勒なのです。その両親だからこそ・・・所問本願経に予告されたような非情な求道の道を歩めるのです。





佛語賢者阿難。
彌勒菩薩本求道時不持耳 鼻頭目手足身命珍寶城邑妻子及以國土布 施與人。
以成佛道。但以善權方便安樂之行。 得致無上正眞之道


阿難白佛。彌勒菩薩以何善權得致佛道


佛言阿難。彌勒菩薩。晝夜各三正衣束體。叉手下膝著地。向於十方説此偈言


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   我悔一切過 勸助衆道徳
   歸命禮諸佛 令得無上慧 


-------------------------(慧=彗「彗は、功を除き新を布く店以(ゆゑん)なり」という。)


 佛語賢者阿難。彌勒菩薩以是善權。得無上 正眞之道最正覺
阿難。彌勒菩薩求道本願。使其作佛時。令我國中人民。無有諸垢瑕 穢
於婬怒癡不大。慇懃奉行十善。


所問本願経 (SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2012版 (SAT 2012))







梵志の子が・・一般人の中で (一般人として・・人知れず・・)


本気で・・宇宙の真理を求道する時


不持 耳 鼻頭目手足身命 珍寶 城邑 妻子・・・


梵志の子は・・無意識に上記のような道を歩むのです。そして、歩んで正覚を悟る途上で、すでに引き返せないところまで進んだ頃に・・・此のように歩ませられている自分に気づくのです。


「善権をもって・・無上 な正眞之道である最正覺を覚る・・」ということ、


此の善根とは、上のお経文を読み上げることではなく、慧=彗すなわち経竟の必然性を覚ることであり、其の背景として、梵志の子が楼 夷亘羅佛の生まれ変わり・・母性が父性に変性する先駆けだからこそ、楼 夷亘羅佛の時代に理解していたことを、無意識の内に思い出すのです。楼 夷亘羅佛はもっともっと悠久の過去の先祖の記憶を思い出して覚るのです。・・其の繰り返しだからこそ、この蛹の宇宙の始まりの出来事を克明に地形文書に記録できたのです。





「求道した本願を、作佛する時・・人民は、諸の垢瑕 穢が無く、婬や怒や癡が静まる」と
云うこと。


この作佛する時・・とは、弥勒が作仏するのではなく、この宇宙が構造を変える時・・・なのです。この生命体宇宙の時の流れと、楼 夷亘羅佛や釈迦や弥勒や梵志の子の活動は連動しているのです。